Hatoma Island festa鳩間島民俗芸能と三線の夕べ
  自然の恵みをベースに営む鳩間島の生活
 
鳩間灯台


鳩間島は、東京から直線距離にしておよそ2,000km、八重山諸島は
西表島の北5.4kmに位置してます。

島の周辺部は平坦で、中央部がこんもりと盛り上がっています。
この小高い丘陵状の森が、民謡「鳩間節」でも有名な鳩間中森。

島でいちばん標高が高い場所で、灯台が隣接されています。
島には主だった産業はなく、島民は民宿経営、傭船、牧畜、漁業などを
個人レベルで行なって収入を得ています。

ただ、魚介類など海からの恵みが豊富で、冬から春にかけては農作物も
収穫できるため、いまだに半自給自足的な生活が成り立っています。

 


  メディアの舞台としても有名な100年以上の歴史を有する鳩間小中学校
 
鳩間小中学校

 

島の東側には100年以上の歴史を持つ鳩間小中学校があります。

同校は、1980年代初めに児童が1人だけになり、廃校の危機に
さらされました。

その際に、親類や離島留学制度などによる全国各地からの里子引き取りで小学校を守ったというエピソードが、森口豁著の『子乞い-沖縄孤島の歳月』(凱風社)という本にまとめられてます。

これを原案・原作として尾瀬あきら作のマンガ『光の島』(『ビッグコミックオリジナル』に連載)や、2005年に日本テレビで放送されたドラマ『瑠璃の島』が作られました。

『瑠璃の島』では、実際にロケが行われ、主題歌の『ここにしか咲かない花』は、コブクロがこの島を訪ねた上で作られました。また、『光の島』は、NHK-FMにおいてラジオドラマ化もされました。

さらに2008年には、劇団文化座が「月の真昼間(まぴろーま)」(原作・森口豁、脚本・杉浦久幸、演出・原田一樹)という題名で公演を行い、大きな反響を呼んでいます。

 

  唄と芸能の島多数の著名人を輩出
 
鳩間島


鳩間島は、「唄と芸能の島」としても知られています。

琉球舞踊としても名高い「鳩間節」は、八重山鳩間島に古くから歌いつがれる民謡の「鳩間中森」を、曲を早弾きに作り直し、豊かな振りを付けたものです。また、琉球歌謡のスタンダードとして広く親しまれている「芭蕉布」も、作者である吉川安一先生が鳩間島の情景を唄にしたといわれています。

さらに最近では、J-POPの人気バンドであるBEGINが、「恋の島鳩間島」という唄を、アルバム「ビギンの島唄‐オモトタケオ2」などに収めています。ちなみに、BEGINのメンバーのひとりである島袋優さん、「涙そうそう」の大ヒットで知られる夏川りみさんの父親は鳩間島の出身です。

 


  島伝統の祭り
 
みるく様


島伝統の祭りも、脈々と引き継がれています。

毎年旧暦6月の「壬(みずのえ)」には、島最大のお祭り、「豊年祭」が3日間行なわれます。

新暦に直すと例年だいたい7月中〜下旬です。

旧盆には獅子舞も披露されます。

また、例年10月下旬〜11月上旬の間に、豊年祭と並ぶ大きなお祭り、「結願祭」が行なわれます。

 




  シマチャビ(離島苦)を乗り越えて
 

 

昭和35年頃には300名ほどの島民が、カツオ漁、赤イカ漁、寒天の材料になるツノマタ採りなど、天水や自家発電をたよりに半農半漁の暮らしに耐えていました。

人口は減る一方です。復帰後の昭和49年には27人ほどに激減しました。

昭和24年に開校した「鳩間中学校」。わずか11日間で校舎を建設し、在校生38人でスタート以来、毎年30人前後の在籍数がありましたが、過疎化の波で生徒数が減り、昭和49年の卒業式をもって廃校となりました。
同時に小学校も存続すら危ぶまれる事態になっていきます。
「学校をなくしては島の存続にかかわる」と島民が立ち上がり、里親制度の導入へとつながっていきます。

島民の熱望が実り、昭和59年には10年ぶりに中学校も復活し、現在の
「鳩間小中学校」があります。

離島苦は常に島ぐるみの努力で克服してきました。

●昭和53年10月18日・・・電話が自動ダイヤル化。

●昭和54年1月10日・・・ヘリコプターの離着陸施設完成。

●昭和55年4月・・・港湾のしゅんせつ工事が完成。200トンの船が桟橋に横づけ可能になる。

●昭和55年7月30日・・・海底送水管が完成。通水開始。

●昭和58年6月15日・・・海底送電工事完成。7月1日から点灯。

生活物資を運んでくる船は、沖どまりで、そこからハシケで物資を運ぶ生活が続いていました。荷物が濡れたり、卵が暑さにむれて腐ってしまったこともありました。また、人も荷物も同じように運ばれてくるさまは痛々しいほどでした。雨水をたよりに生活していた頃、雨不足のときには西表島や石垣島から飲料水を船で運んでもらったりしてました。

現在では、石垣島からの交通も便利になり、シマチャビは確実に島から去っていきました。島の方々の忍耐と努力と願いが島を守ってきたのです。

 




copyright 2008-2009 ©hatomajimabunkaisanseibijigyoukiseikai